ダイヤモンドはなぜサブスクに転換できたのか? 編集部のユニークさを浅島編集長に聞く

・ダイヤモンド社、111周年迎える経済誌発行
・自由度高いジャーナリズムと情報共有の強化
・MZ世代へのアプローチと教育に注力

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ダイヤモンドはなぜサブスクに転換できたのか? 編集部のユニークさを浅島編集長に聞く
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1913年に創刊、今年で111周年を迎えたダイヤモンド社が発行する経済誌「週刊ダイヤモンド」。忖度なしの硬派なジャーナリズムを標榜し、直近ではデジタル版「ダイヤモンド・オンライン」でサブスクリプションモデルに舵を切り成長を続けています。

昨年、その111年の歴史の中で初の女性として編集長に就任した浅島亮子氏にお話を聞きました。

―――まず、ご経歴から伺えますでしょうか?

2000年にダイヤモンド社に新卒で入社し、今年で24年目になります。入社以来、ずっと「週刊ダイヤモンド」編集部で働いてきました。元々、経済や部企業産業の記事を書く記者になりたいと思って入社し、配属されてからその願いが叶い、現在に至るまでその仕事を続けています。

担当分野は主に製造業で、特に自動車とエレクトロニクスを長く担当しました。それ以外にも、重工業や鉄鋼業から軽工業、食品から流通まで含めて、製造業系はほぼ全ての分野を経験したと言えるでしょう。また、商社や外食消費財なども担当しました。

現在は編集長という立場ですが、今でも記事を書きたいという思いは強く、時には原稿を書いたり、編集作業も行ったりしています。

雑誌とデジタルの双方の編集長を兼任

ダイヤモンド社の「自由と責任」

―――ダイヤモンド社で長くキャリアを積まれてきました。会社のどんな部分が魅力的で、今まで続いてこられたのだと思われますか?

最大の理由は、この会社の持つ高い自由度だと思います。他社、特に大手の新聞社や通信社から来た方々も口を揃えて「自由度が高い」と言ってくれます。


《Manabu Tsuchimoto》

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Manabu Tsuchimoto

Manabu Tsuchimoto

デジタルメディア大好きな「Media Innovation」の責任者。株式会社イード。1984年山口県生まれ。2000年に個人でゲームメディアを立ち上げ、その後売却。いまはイードでデジタルメディアの事業統括やM&Aなど。メディアについて語りたい方、相談事など気軽にメッセージください。

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