創刊143年の「日本経済新聞」は、日本を代表する経済メディアとしてビジネスパーソンを中心に、新聞不況の時代にありながらも堅調な伸びを続けています。

そのデジタル版である「日経電子版」は2010年3月に、それまでの「NIKKEI NET」をリニューアルし創刊。月額4,200円の有料サブスクリプション制でありながら急激にユーザー数を拡大しており、直近では日経電子版をはじめとするデジタル有料購読数は65万人を数えるまでになっています。これは経済メディアに限らず、売り上げの面では世界最大規模のデジタルメディアの課金ビジネスになっていると考えられます。

その「日経電子版」を率いるのが、デジタル事業 デジタル編成ユニット長の山崎浩志氏です。新聞社の先陣を切って邁進する日経のデジタルシフトについて聞きました。

編集とデジタルの一体化進める

―――新聞社のデジタル事業に携われてどういう感想を持たれていますか?

記者の中ではデジタル部門の経験が長い方かもしれませんが、それでも最初はまるで転職したような気分でした。

紙の新聞は締め切りが定められており、その時間が過ぎれば、仕事はいったん終わりです。しかし、デジタルになると朝刊・夕刊の区別はなく、いつでも記事を掲載できて、読者からの反応もダイレクトに返ってくる。これは180度違う体験でしたね。

改めて言うまでもないですが、若い人は紙の新聞を読まなくなっていますね。日経は紙の新聞の部数がどんどん落ちているという状況ではないものの、これからも成長が期待できるビジネスモデルでないのは明らかです。だからこそ、デジタルは絶対にやらなければならない、ここで戦うんだ、という危機感が日経を突き動かしています。

―――その決意は大手新聞社の中では最も早かったのではないでしょうか?

そうかもしれません。それでも、ちょうど「日経電子版」を創刊した2010年くらいがデジタルを強く意識した転機でしたので、それほど前の話ではありません。購読料は当時で月額4,000円(現在は4,200円)で有料のデジタルサービスとしてはかなり高額に設定していました。デジタルは紙の新聞のオマケではなく、中核の事業であると位置付けていました。

約65万人の有料会員を抱える日経電子版

―――巨大な組織を変えていくのは並大抵なことではないですよね?

危機意識だけではなかなか動きませんので、組織に落とし込んでいく必要があります。

私自身も記者出身だから分かるのですが、デジタルというのは新しい働き方、フレームワークです。これに抵抗感があるのはやはり記者(編集局)です。かなり意識改革は進んできましたが、編集局とデジタル部局の間には依然距離が残ります。

このような現状を打破するために、活発に人事交流をしています。記者にもどんどんデジタル部門に来てもらって、デジタルを体感して、理解してもらって、また編集局に戻り、記者として羽ばたいてもらう。このようなデジタル事業を経験した記者の数を増やしています。この一年間で10人以上に達します。デジタル部局がどれだけ頑張ってプラットフォームを整備しても、その力を活用できるのは現場の記者です。彼らが新しい武器をどれだけ使いこなせるのかが大事です。

最近話題になったのですが、日産自動車の元会長、カルロス・ゴーン被告の拘置中に独占取材しました。従来の考え方であれば、朝刊の1面に掲載する特ダネなのですが、それを夕方の5時に電子版で先行して配信しました。これは、日経が重要なニュースを紙面に先駆けて配信するデジタルファーストにシフトしたことを示す出来事だと思います。

今回の独占インタビューについては、初めての試みとして、記事を配信する30分前に日経の公式ツイッターで予告を流しました。これは編集局から「特ダネがあるのだが、効果的に出す方法はないか」と相談があったのがきっかけです。デジタル部門と編集局の記者が相談し、予告を流すことを決めたのは記事配信の1時間ほど前の話です。比較的短時間で物事を決めて、行動に移せるようになっています。

ツイッターでのゴーン被告のインタビュー予告は話題になった

―――本紙の1面を飾れるような特ダネを電子版で先に流すという決断は凄いですね

デジタルファーストの考え方は社内に定着し始めており、今後、それをさらに加速するには記者の評価制度を変えるということも必要かもしれません。1面を飾る特ダネを取ったということが一番の評価ポイントであれば、誰も電子版で先に記事を配信しようとは思わないですからね。記者の評価点にデジタルへの貢献度を盛り込んでいくということは、記者のマインドチェンジにおいて非常に大きな効果があります。

もっとも、記事の価値判断は電子版の時代になっても難しいのが実情です。新聞は「読者が読みたくなる」記事ではないが、「読んでおいてもらいたい」という記事も多く配信しています。単純にPVのみで評価することができないのが新聞だと思います。

「日経電子版」は基本的に有料のサブスクリプション制で、無料会員でも月に10本までは記事が閲覧できるようになっています(メーター制)。記事からどれだけのユーザーを会員にできたか、有料会員にできたか、こういう行動は記事に満足してもらえないと喚起できませんので、会員登録の喚起率のようなものを評価指標にしても面白いかもしれません。

―――今までは紙の新聞の編集を目的とするシステムだったのが、デジタル優先に変わっていくということもあったのでしょうか?

ここは現在進行系でシステム整備を続けています。

ほんの2、3年前までは、まずは新聞向けのコンテンツの編集作業を優先し、その後に電子版に流すというワークフローでしたが、これを改めました。

最初に「新聞向け」と考えると、全てが締め切りに紐付いてしまいます。朝刊は深夜1時半、夕刊は午後1時半、記者はこの締め切りギリギリまで良い原稿を書こうと必死になっています。でも、深夜1時半以降に電子版に記事をアップしても読む人は殆どいませんよね。 そうすると、まずはデジタルで先に記事を出してから、次に紙の紙面にどう落とし込んでいくかを考えるようになり、ワークフローが変わっていきます。

言葉にすると簡単ですが、七転八倒しながら、なんとか整えている状況です。「日本経済新聞」は143年前に創刊してからずっと、大量の紙に印刷して、それを販売店経由で全国津々浦々に配送するというビジネスをやってきました。100年以上も続く稀有なビジネスモデルが遂に引っくり返ったということですからね。

―――時間が変わると働き方も大きく変わりそうですね

そうなんです。デジタル中心に移行することが、新聞社の「働き方改革」に繋がっているように思います。

まず夜は随分早く仕事を終えるようになりました。深夜に締め切りがあると、どうしても「ギリギリまで頑張ろう」「最後まで会社にいないと……」という意識が働いてしまいます。記者には「夜討ち朝駆け」という言葉がありますが、それも締め切りまでに特ダネを取ろうと、深夜、早朝に働きます。しかし、デジタル先行の出稿体制になると、いつでもタイムリーに記事を出すという意識が高まり、締め切りを意識する必要はなくなります。

また、電子版であれば24時間日本で記事を更新する必要はなく、時差のある米国で日本の深夜時間帯は編集作業をしてもらう体制を取っています。以前、早朝に日本で大きな地震が発生した際には、米州総局から記事を出稿してもらいました。

実は「Financial Times」(FT)を買収してから、私も何度もテムズ川のほとりにあるFTのロンドンの本社に行きましたが、夜の9時にはもう電気は消えています。彼らはいち早く、グローバルなネットワークを生かした24時間の編集体制を取っていました。我々も日本語という言語の壁はありますが、FTを参考にしながら体制を作っているところです。

―――今最も注力しているのはどのような事ですか?

内部で議論しているのは「編集とデジタルの一体化」です。

繰り返しになりますが、編集局の記者に、デジタルの分野で活躍するという意識を持ってもらうことが必要ですが、逆にデジタル部門の人たちも、システムやプラットフォームだけではなく、「日本経済新聞」という編集コンテンツを作っていくことを理解してもらう必要があると考えています。

記者がコンテンツ作りに誇りを持っているのと同様に、デジタル部門の専門家は電子版のサービスやUI/UXに誇りを持っています。それぞれ異なる分野のプロフェッショナル集団なわけです。彼らが本当の意味で一体化して、コンテンツを作り、それを届ける、ということができればもっと面白いものが作り出せると思います。

最近、日経電子版のアプリに「ストーリー」というタブが出来たのですが、これはデジタル部門からの提案で生まれたコンテンツです。新聞は過去に掲載したものを振り返るという作業が物理的に難しく、本来は連載に向いていません。文字数にも制限があります。でも電子版だとパッケージ仕立てで読みやすいものが作れる。見た目も本棚風にして、読んでいくのがちょっと嬉しくなるようなコーナーとして、編集局ともがっちり連携しながら毎週コンテンツをアップデートしていっています。

編集とデジタルのタッグで生まれた「ストーリー」タブ

今までは紙面というフォーマットに落とし辛いものは避けてきました。しかし、電子版が生まれたことで可能になったフォーマットにどんどん挑戦していきます。「ストーリー」のコンテンツは紙面にも電子版で配信したものを再編集して掲載しています。これもデジタルファーストですね。

既存メディアをディスラプト(破壊)する側に

―――デジタル部局はいまどのくらいの規模なのでしょうか?

総勢100名を超えました。一番多いのがエンジニアで約40名、他はデータ分析、マーケティング、サービス企画などを担当しています。主に中途で採用していますが、日経の記者経験者も増えてきました。これに加えて編集局との人事交流も増えています。

―――エンジニアが40名もいる新聞社は例がないかもしれません

それでも全然足りないですね。エンジニアの採用はやはり大変です。でも、メディアやコンテンツを使って何か面白いものを作ってやろうという人にとっては刺激的な環境のようです。有り難いことに社員からの紹介で入社してくれる人も多いです。

―――サイトの高速化は非常に大きな話題になりましたが、次は何を狙っているのでしょうか?

既存メディアのディスラプター(破壊者)になることですね。新聞社はデジタルでディスラプトされるというイメージを持たれているかもしれませんが、受け身で守るのではなく、全力で攻めていかなくてはなりません。

ちょうど来年で「日経電子版」は10周年を迎えます。1300人の記者が作る質の高い記事、グローバルなネットワーク、900万人の「日経ID」会員、4,200円を払ってくれる有料会員、こういう強みを活かして、「日経電子版」を再発明したいと思っています。

―――ベンチャー投資にも積極的ですね

デジタルが主戦場であると認識するまでには時間がかかりました。今もスマートディスプレイ、IoT、動画や音声など次々に投資すべきテクノロジーやフォーマットが登場してきます。これらに積極的に取り組んでいきますが、単独では難しい事もあります。その領域に熱量が高く、強みのあるベンチャーと組むのは有力な選択肢です。今後も積極的にやっていきます。

―――Voicyとの提携はその一環でしょうか?

音声メディアには大きな可能性があると思っています。ただ、まだまだ経験が足りませんので、既に大きく先行しているVoicyと提携し、一緒に新しい取り組みをスタートします。Amazonの「Alexa」もどんどん広がっていて、スマートスピーカーだけでなく、車でのオーディオや、ディスプレイにも組み込まれています。

音声がどのような形で生活の中に浸透してくるかまだ不透明なところはありますが、先行して取り組まないと、いざ普及してから大慌てでやっても対応できません。今のうちから試行錯誤して、記者が活用できるようにしたいと思います。音声というフォーマットでコンテンツ作りのアイデアも広がるでしょうね。

―――ピースオブケイクとの資本業務提携も大きな話題になりました。これはどのような狙いだったのでしょうか?

新聞の読者は世代としては高めです。日経新聞として、若いビジネスパーソンとの繋がりを持てているのか、ということを考えると心許ない。ピースオブケイクはそうした若いビジネスパーソンと繋がっていて支持されている。元々付き合いがある人がいたということで、昨年7月に資本提携しました。

日経は「COMEMO」という各業界のオピニオンリーダーたちが発信するメディアを運営してきたのですが、昨年12月にこれをピースオブケイクのnoteの基盤に移行しました。#COMEMOというタグ付きでnoteに投稿された記事で良いものを日経電子版で紹介させてもらうという取り組みも始めて、順調に数字が上がってきています。

現在ではnoteのプラットフォームで展開されているCOMEMO

また、2月からはビジネスとクリエイティブを結びつけようという「Nサロン」という取り組みを開始しました。業界リーダーを招いたオフラインのトークセッションやゼミで様々な学びを提供していきます。初回は100名を募集しましたが、すぐに埋まりました。ピースオブケイクとは若手のビジネスパーソンと繋がるための取り組みを次々と仕掛けていきたいと思います。

―――「Financial Times」とのデジタルでのシナジーも生まれてきていますか?

2015年に「Financial Times」を買収しましたが、デジタル化では彼らが3~5年は先行していました。また、前述のように働き方も根本的に違っていました。今まで述べてきた取り組みは、彼らのやり方が刺激になって進んだ面も大いにあります。

例えば海外では、専門性を持った記者がニュースレターという方式でコンテンツを提供することがメジャーな手段となっています。日経の記者も専門性を持って日々取材活動を続けていますので、日本でも出せないかと検討しています。

―――メディアの課金で日経電子版に続こうという社も多いのではないかと思うのですが、何かアドバイスいただけないでしょうか?

我々もまだまだ試行錯誤を続けていますが、大きく分けて2つの事を考えています。

まずはコンテンツのオリジナリティです。「これだ」という強みのあるコンテンツがないと高いお金をいただくビジネスモデルは難しいと思います。日経では記者の能力を最大限に引き出す環境を作り上げていくことが重要ではないかと思います。

それから記者とエンジニアが連携して、新しいコンテンツの表現方法を編み出していくことも武器になると思います。数年前からビジュアルデータチームを作って、データや情報をビジュアルに加工して付加価値の高いものとして提供していくという取り組みを進めてきました。最初は1つのコンテンツを作るのに数カ月かかることもありましたが、今ではコンスタントにあまり時間をかけずに作れるようになりました。

―――最後に今後の日経電子版が目指すものを教えてもらえるでしょうか?

いま日経電子版をはじめとするデジタル有料購読数は65万人います。でも、日本でビジネスに携わっている人の数は桁が違います。そういう人たちの必須のツールになっていければ、会員数の桁を変える事ができると思います。また、海外にいる日本人にもリーチしていきたいと思います。ビジネスパーソンの最強ツール、そう言われるようになりたいですね。

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